大高忍「マギ」における物語の流れと描写との違和感について
- 作者: 大高忍
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/10/18
- メディア: コミック
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週刊少年サンデー連載中の「マギ」が章のクライマックスを迎えています。今回は主人公の一人、アリババの故郷、バルバッドを舞台にした話でした。
これが結構長い話になっているのですが、今一つ盛り上がりに欠けている印象がありました。
7月のオフの時にも海燕さん達と話していたことで、既に海燕さんが記事で触れてらっしゃるところです。→ 該当記事
で、物語上、クライマックスを迎えて、アリババが共和制導入を打ち出すなど、それなりに派手なことをやってはいるのですが、やっぱりどこか盛り上がり切れない印象があります。
それは何故なんだろうな、ということを少し考えてみました。
私個人の印象として、「マギ」において作者の大高さんがミクロの話を書きたいのか、それともマクロの話を書きたいのか、そこが判然としない、というところがあります。
そもそも、小さいとはいえバルバッドという国の体制を変革しよう、という話なんだから、マクロの話を書こうとしている、と解釈するのが妥当なように思えます。
しかし、そう考えていくと幾つも問題点が出てくるように思えます。
まず、バルバッドの規模が最初に想起されたよりはるかに小さいものであるようだ、ということです。
規模的にはおそらくグインサーガで言えば自由都市(ロスやライゴール)に当たるぐらいの規模であってアグラーヤほど大きくはない、という印象です。
それなりの規模の町が、立地的に好条件を得て、それなりに発展し自治を行っている、というイメージ。複数の町と町を結びつけて統合的な政体をつくっているようには見えない。
何故そういうイメージを抱くのか、というと、バルバッドの政治体制から受ける印象なのだと思います。
国民の人権を他国に譲り渡す、と言った極めて重要であるべき事案の動議に対して、反論を見せるような貴族・豪族の存在が見当たりません。この部分が、血縁的結合を元に構成されるムラを基礎としていることを強く想起させるのです。同規模のムラとムラの結合がかつて起っていたならば、対抗勢力としての貴族・豪族の存在があっても不思議ではないのですが、バルバッドにはそういう存在が全くないのです。
カリスマ的な指導者によって体制が一つにまとまっているため、王の発言力が極めて高い、というケースも存在し得るでしょうが、バルバッドの王アブマドは、借金のかたに国民の人権を他国に譲り渡そうとするような見識の持ち主です。彼の指導力が高いようには見えません。むしろ指導力のなさそうな王として描かれています。
物語として、そういう国の状況を憂えて改革しなければいけない。立ち上がる民衆。という流れは自然だと言えます。
実際にバルバッド編はそういう流れになっている、とも言えます。
アリババは反体制組織である盗賊団「霧の団」に身を置きますし、結果的にアブマド王を退位させ、共和制の導入を提示するわけで、結果的に起きている事象に着目すれば問題はないようにも見えます。
しかし、実際に読み進めていくと大きな違和感を感じます。何故でしょうか。前述のような英雄的行為を行うアリババに主体性が無いと思わせる描写が多すぎると感じるのです。
バルバッド編において、アリババは「霧の団」を率いて再登場したわけですが、なぜ「霧の団」の頭目になったのか、というと、幼馴染のカシムに担ぎ出されたからであって、最大の動機はカシムと仲直りをしたかったからであり、バルバッドの国政の乱れには元々関心があるように見えません。
そして城へ乗り込んで行く際には、他国(大国らしい)の王、シンドバッドの助言を得て決意し、ジンの金属器を使い、モルジアナの助けを借りて、王の手下たちを力でねじ伏せて、王の前に立つことになります。
当然ながらその一連の流れの中で、アリババの中に、現体制打倒、共和制導入の考えが生まれてきたのでしょう。結果的に彼がそう主張しているのだから、そうに違いありません。
ただ、描写のニュアンスを見ると、直接的に読者が受ける印象は少し違ってくるのです。
まず、行動を起こした直前の時点で、具体的に行動を起こせないアリババは、シンドバッドに王になれ、と言われているんですよね。直接的に言われたことには反発しましたし、結果的に王にはならない、と宣言するわけですが、行動を起こすきっかけは、他人に指摘されたからだ、という印象が何割か残ってしまいます。
そして王の前に出るまでに、王の配下が立ちふさがるのですが、こいつらが魔法が使える、強い奴らなんですね。そいつらをアリババはジンの金属器の短剣とモルジアナの助けで蹴散らすわけです。ただ、その時にもアリババの思想は全く語られないんですね。ただ力で退ける。だから、ここでモルジアナの助けにも違和感が少し生じてくるのです。
モルジアナはアリババによって奴隷から解放されたという過去の経緯があり、アリババに恩義を感じ助力する姿勢を取り続けています。
単純に恩返しのつもりでやっているだけなのかも知れないのですが、彼女の言動の描写を見るに、どこかアリババに心酔しきっているようなニュアンスを感じるのです。
この描写によっても、やはり違和感が生じてきます。
アリババが具体的な政治方針をなんら見せないのにもかかわらず、モルジアナが彼に「王」や「指導者」としての器を期待、というか確信しているように見えてしまうのですね。
そういったニュアンスの積み重ねが、却ってアリババの自己表現の足りなさを浮き彫りにしてしまっている感があるのです。
そして、そういうアリババの至らなさ、についてはバルバッド編の前半で幼馴染のカシムによって既に糾弾されているところなんですよね。
カシム自身が視野が狭いような描写がされており、実際、彼の指摘は理屈として正当さを欠いている部分があったと思います。
しかし、彼のアリババに対し感じた「違和感」というものは、最終的にみると、実は読者の印象として共感を呼ぶものになりつつあります。
アリババの打ち出した共和制導入、という理念に対してその正当性は認められます。しかし、その思想がどこか薄っぺらいものに感じてしまうのですよね。キャラとしての積み重ねがそこには感じられません。
それが、「マギ」のバルバッド編が今一つ盛り上がらない印象になる理由なのです。
今週、おそらくついにカシムが再登場します。
彼は果たしてどういう結論を出し、どういう行動を取るのか。
そしてアラジンは目覚めるのか。
今までの違和感を全て払拭するような、むしろ効果的な伏線へと昇華するような、そんな素晴らしい展開を期待したいと思います。