「魔法少女まどか☆マギカ」完結(ネタバレなし、のつもり)

 アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」がこのたび完結を迎えた。


 この物語が何故ひとの心を打つのか。

 それは、現実の、人間社会の構造を的確に反映した写し絵となっているからだ。


 人は皆、絶望とともにある。

 挫折を体験せし者は、それを再び繰り返すことに怯え、

 挫折を経験せぬ者は、まだ見ぬそれを恐れ、慄く。


 だから、人は目を背ける。

 ありのままの、この世界の構造、黄金律、因果。

 それを、その身に受け入れるため、甘いオブラートで包みこむ。

 そして、文化というものが形成されてきた。

 物語が形成されてきた。


 しかし、人間社会はまさに、変革のときを迎えている。

 人と人との関係性は大きく変貌を遂げた。

 イエ、ムラ、クニ、そしてセカイ。

 その積み上げ「のみ」で成り立つ世界は既に終焉を迎えている。


 もうしばらくすれば、すべてのヒトはそれに気づくだろう。

 いや、それを当たり前のこととして受け止めるのだろう。

 しかし、今はまだ、その時ではない。

 
 だから既存の社会構造観に基づいた物語が、今も多く紡がれ続けている。


 けれども、現在においては、

 それらの物語は既に「絶対的な」力を失っているのだ。

 世界の本質を外してしまっているのだ。

 
 しかし、未だ、この状況は多数の者には明確に認識されていない。

 それ故に、既存の物語もまた、自然に受け入れられている。

 そして、それら既存の物語は多量に再生産を続けられている。


 けれど、同時に、少しずつではあるが、こういう世界の状況を前提とした物語作品も出現しつつある。

 「AIR」や、竜騎士07氏の作品からもその意識を読み取ることは可能だ。

 しかし、それらの作品の中では、その社会構造観を伝達する手段に、洗練性が乏しく、別の理を、単に提示したようにしか受け取られなかった。

 多くの者には価値観を共有できない、醜悪なものとしてしかとらえられなかった。


 しかし、たとえば、小林有吾の「水の森」においては、その別種の価値観を肯定的に捉えられるよう意図し、表現が行われていた。
 この作品が、少数であるが、似た価値観を共有する者の心を大きく揺さぶったのは、それが故のことであろう。

 そして、「魔法少女まどか☆マギカ」においては、新しい世界観そのものが直接的に描かれるに至っている。

 それを醜悪と受け取る者もいるだろう。しかし、巧緻で洗練された形で表現された、その世界観は、

 より多くの者に、現実と、既存の物語の提示する世界観との間に生じる相違、ずれの存在を認識させた。

 そう確信する。

 もちろん、少数の先鋭的な価値観を既に備えた者にとっては「いまさら」なものであろう。

 しかし、そうでない、(おそらくより多数の)者にとっては、

 いままでそれとなく感じていた、「違和感」

 現実と、物語とのギャップ

 それを埋めていく、最初の一歩を指し示す作品となるであろう。

 それを自覚しなくても、そうなっていくであろう。


 多くの人々にとって、新たな時代を切り開いた、歴史的な物語。


 それこそが、この「魔法少女まどか☆マギカ」という作品の本質的な価値なのである。