「逆境」とその裏の「メタ逆境」


先週末、海燕さんとラジオをやった中で出た話が面白かったので取り上げてみます。


 物語の構造についての話なんですけど、物語の世界で先の展開というものは、それまでの展開、伏線などによって決定あるいは制限されるものなんですよね
 例えばシンデレラは最終的に王子様と結ばれ幸せになります。
 この展開が読者に受け入れられるのは何故か、というと物語の前半でシンデレラが継母や姉たちに不当にいじめられこき使われる、という扱いを受けていたからです。
 その「逆境」があったからこそ、シンデレラが王子様に選ばれた時に、読者にカタルシスが生まれ、納得して受け入れられるのです。
 逆に、姉たちの方を見てみると、彼女たちは、それまで母に認められ、正当な扱いを受けて暮らして来たわけです。
 それは幸せなことなのですが、そこに「逆境」はありません
 だからこそ、王子様に選ばれることはありませんでした。もしそこで王子様に選ばれていても、読者には受け入れづらいものとなったでしょう。
 物語の中では「逆境」に耐えた者が報われるべきだ、という心理が働くからです。
 この読者心理を前提として物語が作られると仮定したときに、物語には、読者心理を前提としてその後の展開が決定されていくのだといえるでしょう。
 この物語の展開の決定に影響を及ぼす力の体系を「物語力学」と仮に定義します。
 この時、物語力学に逆らった姉たちの望み(王子様に妃として選ばれる)は叶いません。
 姉たちが王子様に選ばれても読者がカタルシスを得ることができないため、普段の幸せよりも上位の望みを叶えることができない。その彼女たちは、物語の外からの視点で見ると、物語的に逆境にあるということも出来るといえます。
 彼女たちは普段から王子様に選ばれるために自分を磨いていたにも関わらず、そういう努力をしていないシンデレラに劣っていると評価されるわけです。
 その理由が何故かというと、つきつめていくと「物語の要請」とか「作者の都合」でしかないのです。
 シンデレラの姉たちのように「逆境」を経験しなかったがゆえに、自分の最大の目標を達しえない境遇をシンデレラの受けた虐待のような作中での逆境と区別して「メタ逆境」と呼ぶことにします。

 すると、この「逆境」と「メタ逆境」という考え方は、「シンデレラ」の物語だけでなく他のさまざまな物語作品に適応し得るものだ、ということがわかってきました。

 例えば、「マギ」でのアリババの境遇なども物語力学に沿った形で話が流れていると言えそうです。
 彼は、ダンジョンをクリアし、主人公であるアラジンに友として認められました。
 そのカタルシスが途轍もなく素晴らしかったのは、かつてアリババが自分の命を投げ出して怪物に襲われた女の子を救う、という英雄的行為を行いながら、アラジン以外の誰にもその価値を認められなかった、という逆境があったわけです。
 更にダンジョン内でも、ライバル相手に多勢に無勢の闘いを強いられます。
 そういう精神的、物理的両面の逆境があったからこそ、アリババがあきらめずに頑張り続け、ダンジョンクリアを勝ち取ったことに読者は納得しカタルシスを得ることが出来るわけです。

マギ 2 (少年サンデーコミックス)

マギ 2 (少年サンデーコミックス)

 同様にバルバッド編のアリババを見てみましょう。

マギ (6) (少年サンデーコミックス)

マギ (6) (少年サンデーコミックス)

 バルバッド編でのアリババは、怪傑アリババとして、盗賊団の頭目になっていました。
 そのアリババのモチベーションは、


・バルバッド国民の窮状を救う。
・過去に失いながらも再度得ることの出来たカシムとの絆を保ち続けたい。

 
この2点に集約されます。


 アリババはこの2つの目的の間で揺れ動きます。
 アリババがバルバッドの王制を廃止、共和制へ導くことを決断することが、バルバッド編の物語展開上の重要なポイントであったと言えましょう。


 王宮突入の直前の決断の時点でのアリババを振り返ってみましょう。
 この時点での彼の逆境は
 1 自分に自信が持てない。
 2 カシムとの間に大きな溝が出来ている。
 3 カシムが内戦を計画している。


1によりこれまで具体的に主体的な行動を取れず、カシムやシンドバッドの意図に沿う行動(批判的に表現するなら、彼らの言いなりの行動)を続けていました。
その中で、2の溝は大きくなっていきました。元々、カシムは王族、貴族などの権力者に対して非常に強い劣等感を持っていたため、王族の一員のアリババとの間にはわだかまりがありました。アリババが積極的にカシムとの対話を試みておれば、両者の溝は幾分埋められたかもしれません。しかしカシムとの決定的な決裂を恐れたため、アリババはカシムとのコミュニケーションを怠ってしまいした。
そうしているうちに、他国の王族シンドバッドによりカシムは盗賊団の行動理念や組織運営の杜撰さについて厳しく指摘され、自分が根本的に否定されたと感じ、その反動から自分の力を認めさせるために3のように国民を扇動し、内戦を引き起こそうと心に決めるところまで追い詰められてしまいます。


 自分が何も行動を起こさなければ、幾日もしないうちに友人のカシムが内戦を起こし、多くの国民が巻き込まれ生命を落とす。
そこまで追い込まれたアリババはついにこの逆境の力によって、自ら行動する意志を得ることになります。
アリババは、カシムの企図した内戦が引き起こされることにより多くの国民が傷つき倒れること、これが回避すべき最大優先事項として選択し、単独での王宮突入を行うことになります。

 多くの国軍兵士及び親衛隊によって守られている王宮にたった一人で侵入する、という状況は大きな逆境です。
 しかし、それが逆境であるが故に、物語力学により逆にアリババは負けません。負けたらそこで物語が成立しなくなるからです。
 モルジアナや、副王サブマド、国軍将軍、更にはシンドバッドの助力をも得て、アリババはアブマド王を失脚させ、王制を廃し、バルバッドの煌帝国への実質隷属化を意味する条約締結をも回避します。
 ここにカタルシスの発生があります。
 王宮前へ集まった国民への説明の演説の後、歓声を持って受け入れられたところでそのカタルシスは最高潮に達したと言えるでしょう。


 しかし、この行動はカシムの蜂起の意味を失わせる行為でした。

 
 この時点でのカシムの状況ですが


 ・アリババに対して「綺麗ごとばかり言う」と批判していたが、その綺麗ごとをやり遂げられてしまう。→現実として武力によるクーデターを起こす以外に国を変える方法はない、としたカシムの主張が否定される。
 ・打倒すべき国王が退陣し、王制が廃止されれば、集まった反乱軍の攻撃目標がなくなる。
 という逆境に置かれています。


 そもそもカシムの目的は
 内戦により現王族政権を打倒し自分が王となることで、権力者に対する自分のコンプレックスを解消する。
 そして同時に、現状に不満を募らせる国民の支持を得よう、という辺りでしょう。
武器商人の協力を取り付けて、武装を強化し、彼なりの勝算もあっての決断だったと思われますが、アリババの行動により、その全てが意味をなくしたわけです。

 この際に、カシムの中で国民の生活水準向上が最優先目標になっておれば、アリババの共和制導入論にも納得して引きさがることが出来たでしょう。
 しかし、カシムの中では権力者への反感からの王族排除が最優先になっていました。
 だからこそ、この時点で、逆にカシムの「逆境」が極まって、アリババとの「逆境勝負」に勝ってしまうのです。
 国民に一旦受け入れられた時点で、アリババが「メタ逆境」に置かれてしまうわけです。
 そして物語力学により、カシムの王族打倒の大号令に国民たちが呼応してしまうことになっています。
ここで一つ生じてくる問題があって、
 この国民の呼応は、物語力学上は自然な流れではあるのですが、結果的に「カシムの抱く権力者へのコンプレックス」が物語上で一番重要な扱いを受けている形になってしまっています。
 それまでの展開ではカシム視点で内面が語られることが少なく、シンドバッドにカシム自身を根本的に否定されながら、それに対する効果的な反論もされないまま、ここまで来てしまっているのが問題であって、読者は、物語の山場に来て、急にカシムの主張が受け入れ続けられることになった展開にとまどいを感じてしまうのかな、と考えています。

 カシムが悪魔のような姿へと変化してしまったのもまた、その物語力学に従った補正なんだと思います。これは読者の共感を阻害するギャップを視覚的に表現したものなのじゃないかな、と。
 しかし、思想のぶつかり合いを回避してしまった今の状況ではこれは単に力のインフレを呼ぶだけの展開に見えます
 今のままでは物語中で最大の格を持つアラジンが目覚め、「サイボーグ009」の001のように、圧倒的に強大な力を持って事態を都合よく解決するしかなくなってしまっているのかな、と懸念しています。
 こういう追い詰められた状況の中で、そこにどれだけのカタルシスを生み出してくれるのか、大高忍さんの力量に期待しているところです。