太陽を直視しようとした女、加納トメ〜「鉄腕ガール」〜

 私は、創作作品の登場人物に接する際、出来うる限り、尊敬出来るキャラクターに出会いたいと願っている。
 現実世界では、人間は、あらゆる相反する要素を内包するので、ほぼ確実に、どこか尊敬できる部分を見つけ出すことが出来る。


 しかし、創作された物語の世界ではそうはいかない。極度に限られた要素でキャラクターを描き出さねばならない関係上、どうしてもキャラクターの中で核となる性格的要素に相反する要素は省略されがちだからだ。
 だからこそ、どうしても尊敬できないキャラクターが存在してしまうのだ。


 私にとって尊敬できるキャラクターが、「好きな」キャラクターとなり、全く尊敬出来ないキャラクターが「苦手な」キャラクターとなる。そういう傾向が確かに存在する。

 そして、特に女性キャラクターについては、よりその傾向が強いように思う。


それを前提として、高橋ツトムの作品「鉄腕ガール」のヒロイン、加納トメを見てみると、面白い。

鉄腕ガール (1) (モーニングKC (690))

鉄腕ガール (1) (モーニングKC (690))

鉄腕ガール(1) (講談社漫画文庫)

鉄腕ガール(1) (講談社漫画文庫)



 彼女は私にとって基本的に尊敬出来る人間であり、かつ、相反する尊敬できない部分を内包している。
 つまり、彼女は、私にとって、より現実世界の人間に近い印象を有したキャラクターだと言えよう。


 では、加納トメの尊敬しうる所はどこにあるか。
 それは彼女の弛まない上昇志向にある。



「トメさん 何で野球やったんですか?」


「そこにあったからさ」


「一生…… かけちゃいましたね」



「まだ 終わってない」

 彼女は常に「よりよい何か」としての自分を目指している。
 南中付近の太陽を肉眼で直視することにこだわるエピソードなどは彼女の本質を象徴している。
 第二次世界大戦で家族をすべて失い、女給をしていた彼女。
 彼女は戦争によって、自分の大事なものをすべて奪われた。愛すべきもの、愛されるべきもの、自らの依って来たるところ。日本人である、ということ。加納トメという一個人の尊厳を奪われたのである。

 その現実の理不尽さに抗いたくも、何の手段もなく、彼女はくすぶり続けていた。


 その彼女の前に一つの道が開ける。
 女子プロ野球リーグの創設である。


 トメは、その容姿端麗さのみを買われて、発足会のイベントのマウンドに立つ。
 本物の女子プロ野球選手、黒沢のフリー打撃のバッティング投手として。その打撃力をPRするための、あて馬としてトメは呼ばれたのだ。
 人よりも速い球を投げることができる。事前のテスト以来、持っていた自負。
 本気で抑えてやろうと投じた速球は、軽々と遙か彼方へ運ばれる。ファールではあったが、飛距離は十分に本塁打級のものであった。

 そして、トメはついに、自分の抗う相手を、抗う手段を得るのだ。


 彼女は、決して最初から広い視野を持っていたわけではない。
 むしろ、目の前の目標に集中し、達成する、それを的確に繰り返すことによって、彼女の直視したくて出来なかった太陽。抗うべき相手を次々に、その視野に収めていくことになる。
 黒沢、偏見、男の野球と女子野球の差、そしてGHQ、巨大資本、そしてアメリカそのもの。
 
 あきらかに強大すぎる壁を敵に回して、彼女は闘い続け、その過程で多くのものを得、成長、適応し、さらに強大なものに抗うだけの力をつけていく。

 その姿は、本当に格好良かった。まばゆい光を、手に握る汗を、昂ぶる熱狂を、彼女は見る者に与えてくれた。


 そして、その彼女をして、恋愛が他の総てに優先される、という描写が、少なくとも一定時期においてされているのが興味深い。
 女子野球日米決戦、その前日に、恋人を誘拐され、彼女は先発マウンドに登る意志をうしなってしまうのだ。

 しかし、それで終わらず、彼女はその後も自分の闘いを続ける。その根底に、恋愛がありながら、それをモチベーションへと転化させていくのだ。

 彼女の生き様を見るに、物語上、恋愛と、それ以外の目的、主題は、存在として決して矛盾しないと言えるだろう。

 加納トメもまた、恋愛に囚われた人間である。それにより逃した勝利もあった。
 だが、彼女が、周囲の人間に与えたものの質も量もまた計り知れないのだ。

「ただ……まだ見えないんだ 太陽が……」


 私は加納トメに出会うことが出来て嬉しかった。

 そして、私は、そんなキャラクターたちに、もっともっと出会いたいと思っているのです。