天才としての悪、「帆場暎一」

機動警察パトレイバー 劇場版 [DVD]

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人型の汎用(作業用)ロボット、レイバーが数え切れなく稼働している日本。


 技術の発展が、人間に多くの富を幸福をもたらす、高度成長時代の再来を思わせる、近未来の東京の空に、一人の男が舞った。
 その街を、全ての人間を嘲笑しながら、彼は跳んだ。


 そして「機動警察パトレイバー 劇場版」の物語は始まる。この一人の天才の掌の上で。


 帆場暎一。この男の存在について、今回は触れていこうと思う。


 前回は、ムスカについて触れ、悪役、敵役と主役、正義側との相対性について述べた。
 ↓
http://d.hatena.ne.jp/kande-takuma/20090629


 しかし、当然ながら、相対的な悪と同時に、絶対的な「悪」というものを想定できなくはない、そのことについては、ネットラジオの中でも触れさせていただいたところです。
 海燕さんの記事(リンク)で既に触れられていますし、更にはペトロニウスさん(リンク)LDさん(リンク)も既に詳しく触れられているところです。


 災害や神そのもののような絶対悪という存在それ自体には魅力を感じる。しかし、これを深く描くことは非常に困難に感じるのですよね。
 その背景を描写することにより、一気に卑近なものへとイメージがどうしてもシフトしがちだからです。
 そういう事情があるからこそ、ラジオの中では、敢えて相対的な悪に、より力点を置いて語らせていただきました。


 しかし、ラジオで私が取り上げたキャラクターの中でも、比較的「絶対悪」に近い要素を含んで描かれたキャラがいました。


 それがこの「帆場暎一」なのです。


 彼が、この作品世界、メガロポリス東京にもたらしたものはなんだっただろうか。


 まず一つ、想定出来るのは、首都圏全域で稼働する8,000台のレイバーが一斉に暴走することによって起こる未曾有の大災害の危険性である。作中で後藤が述べているように、原発の炉心部でもレイバーが稼働中であることを考えると、首都圏が壊滅に近い被害を被ることは想像に難くない。


 しかも、その意図が明確には把握されないまま、物語は進んでいく。
 意味不明な、理解不能な、しかしそこに確実に存在している悪意というものの薄気味悪さ、人に居心地を悪くする根源的な要因そのもの、といった、その存在の印象は、まさに絶対悪、根源的な悪といった言葉から想起されるイメージに極めて近いものだと感じられる。


 しかし、帆場暎一が東京にもたらそうとしたのは、決して大災害そのもの、ではなかった。
 彼は所属企業や留学先のコンピュータの自分に関するデータを総て消去したにも関わらず、26回に及ぶ転居のデータは残しておいた。
 また、彼はカラスの足に自分の認証プレートを付けておいた。

 単に首都圏全域に壊滅的な被害を与えたいだけならば、全く意味のない行為である。それどころか、未然に阻止される可能性を大きくするだけでさえある。


 つまるところ、彼の望みは別にあったのだと言えよう。


 松井刑事の語ったように、彼は「見せたかった」のだ。


 首都東京にて次々と建設されていく超高層のビル。その足下で、かつてにぎわいを見せたはずの下町が次々と廃墟となり、朽ち果てていく。
 帆場の転居履歴を追いかけた松井刑事たちは、その光景を幾度となく見せつけられることになる。


 では、なぜ帆場は、それを見せつけたのだろうか。


 後藤は語る。

「俺はね、しのぶさん。帆場という男のものの考え方が、ようやく分かってきたような気がするよ。くる日もくる日も、部屋の窓から高層ビルを見上げてどんな犯罪をたくらんでいたのか。
 エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、お互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は、バベルと呼ばる」

 聖書との暗合に基づく計画。
 技術の高度化に奢れる人類に天罰を下す。
 彼は旧約聖書の神エホバ、すなわちヤハウェたろうとした、ように見える。


 彼の得たプログラミングの才能が、不可能を可能にした。HOSという画期的なOSをほぼ独力で作り上げた帆場は、本来一個人で得ることのできない、人類を裁く側の地位を得ることになる。
 彼は綿密な計画により、首都圏の人々を試したのだ。
 果たして彼らにこのまま、乱開発による繁栄を享受する資格があるのか否か。
 人類が、ヒントを与えた上で、もしも、レイバー暴走の原因に辿り着けないような、愚かなものであるならば、一旦壊滅的な打撃を受け、レイバー中心の社会構造を根本から見直さざるを得ない状況に陥れてもよい。
 そして、レイバー暴走の原因に辿り着けるのであれば、彼らは選択として洋上プラットホーム「方舟」の解体のみの損失を選び取るだろう。
 「方舟」を失っても人身的な損失は生じない。しかし、「方舟」を失うことにより、バビロンプロジェクトは大きく後退することになる。レイバー暴走のからくりを見抜くだけの能力があれば、このより小さな損失によっても、レイバー自体のあり方の見直し、そして過去の存在意義を失わせていく、都市の発展に関するスキームやロードマップの在り方について、真剣に再考、吟味されるだろう。


 そして、その彼の計画実行の締めくくりとして、彼は「方舟」から飛び降り、自らの命を絶った。
 尋問による真相解明は彼の本意ではない。自ら真相を語ることを彼は望まなかった。
 それでは人類が試されない。それでは裁きにはならないからだ。


 彼は神の裁きを行おうとした。しかし、彼自身が神であろうとしたわけではない。

 

「正確にはヤーベ、あるいはヤハウェと発音するのが正しい。エホバってのは誤って広まった呼び方なんだそうだ。それを聞いた帆場は狂喜したそうだよ」


 MIT在籍時代、帆場はエホバと呼ばれていた。エホバは旧約聖書に出てくる神の名だ。
 しかし、それが誤りだと知った帆場は狂喜したという。


 想像するに、彼は、神として人類に影響を及ぼすのでなく、帆場という一個人として、人類に影響を及ぼすことを望んでいたのではないか。


後藤「それにしても帆場の生まれた家、よく探しあてたね。」
松井「なあに引越しの後をさかのぼってったらたどりついちまっただけさ。だがこれで終わり、デッドエンドだ。あのあたりは80年代の土地狂乱のころ、地上げで壊滅した街の一部でね、その後の国土法の制定や何やらで結局活用されずに、いわば宙に浮いてた土地だったんだそうだ。」


 後藤と松井のこの会話が興味深い。
 帆場の最初の転居、引っ越しは地上げによるものだった。自分の生まれた家、生まれ育った町が奪われた。子供の頃の帆場にとって、それは大きな衝撃であっただろう。
 しかも、地上げされた土地は、有効活用されることなく放置されていた。
 自分の寄る辺であった生家や故郷たる町、それにまつわる思い出。帆場の大切なものは、理不尽に踏みにじられた、と言えよう。


 おそらくは、転居後も、帆場は幾度か生家を訪れたに違いない。幾度訪れても、まだ残り続ける生家、廃墟として残り続ける生家は、彼の目にどう映っただろうか。


「やつはそんなロマンチックなやつじゃないよ」
後藤さんはそう言った。
おそらくそれは正しい。
しかし、別の考え方も出来ないだろうか。
 帆場は、篠原重工の人事データから、学籍、戸籍簿にいたるまで自分のデータをことごとく消し去った。
 それは「裁き」のために必要な処置であったが、別の意図もあったのではないか。
 彼は帆場暎一一個人としてのアイデンティティを失い、その失意の深さから、その後、新たな自己同一性を構築することができなかった。
 総ては彼にとり意味を持たぬデータだった。だから消去した。


 そして、彼は、二十六回の転居のデータだけは残した。
 廃墟寸前の町並みからそびえ立つ超高層ビルを見上げる。


 その風景だけが、彼に残された唯一のアイデンティティだったのだ。


 自分の大切なものは踏みにじられ壊され、失われていく。
 そして自分にとって意味のない、巨大な建造物が、尊大な姿を見せている。
 それが「当たり前」でいいのか、とふと考えた。
 そんなところに帆場の動機があったのではないだろうか。
 ビルの存在を「裁き」の構造に組み込んだこともそれを示唆してはいないだろうか。


 そう考えると、彼は途方もないロマンチストであった、とも言える。


 そのロマンチストが、天才として、裁きを行う手段を得てしまったとき、それは「悪」へと変化(へんげ)した。


 そう考えれば、彼の天賦の才能そのものが「悪」であったと言えるだろう。


 帆場暎一もまた、現代においては「八神月」や「ルルーシュランペルージ」と同列に並ぶべき存在であったかもしれない。


 極めて飛び抜けた、その才能が故に。