月光条例「赤ずきん」編が素晴らしかった。

月光条例赤ずきん」編について(ネタばれ注意!!)

月光条例 1 (少年サンデーコミックス)

月光条例 1 (少年サンデーコミックス)

 この話を読んで、僕の心は久々に満ち足りた。
 その感動は万人の共感を得るものではないだろう。

だが、それでも、僕は何か書かずにはいられなかった。

 この月光条例の12番目のエピソード「赤ずきん」を既に読んでいて、その上で僕というある一人の男の勝手な呟きに耳を傾けてみよう、なんて人は一人もいないかもしれない。

 でも、そんな酔狂なあなたの存在を信じて、僕はこの文を書いている。
 
 あなたがこの話の既読者ならわかってもらえるか、と思う。なぜなら、あなたは僕のおひさまだからだ。

 こう書いたことで伝わる人には、趣旨は既に伝わったかもしれないが、あえて、続けてこの話の魅力について語っていくことにする。

 「月光条例」は藤田和日郎 の最新長編漫画である。
 その設定をおさらいしてみよう。
 何十年かに一度、不思議な青い月の光に照らされて、「月打」(げっだ、あるいはムーンストラック)が起きる。「月打」とは、「おとぎばなし」がおかしくなってしまうこと。
 例えば第1巻では「裸の王様」の国民達が「月打」をくらって蜂起し王様の城を打ち破らんとするし、「3匹のこぶた」の狼は巨大化し、〈読み手〉の世界(現実世界)へ現れ、その鼻息で金閣寺や国会議事堂を吹き飛ばしてしまう。
 大混乱になった「おとぎばなし」の世界は助けを〈読み手〉の世界へ求める。

 そして使者の「鉢かづき姫」が向かった先に、けんかっ早い高校生、岩崎月光(げっこう)がいた。
 月光は「月光条例」の〈極印〉を額に刻み込まれた。武器に変化(へんげ)する鉢かづき姫を使役し、月光は月光条例を執行する。その条文こそは『青き月光でねじれた「おとぎばなし」は猛き月光でただされなければならない』の一文のみ。
 月光は「月光条例」の執行者となったのだ。

 執行者の武器は、「月打」を受けておかしくなってしまった登場人物たちに振るうことにより、彼らを正常な状態へと戻すことが可能なのだ。

 月光は、そうして、「おとぎ話」の世界を、そして同時に〈読み手〉の世界を守っていく。
 その中で、もう一人の条例執行者、図書委員の「工藤」とも彼は出会う。彼らが出会って三つ目の事件がこの「赤ずきん」事件である。
 月光が執行者になってから12番目のこの話の中で、ついに彼は赤ずきんに出会うことになる。

 話の冒頭、「月打」された赤ずきんは現世の夜のビル街を疾走する。
 連続爆破殺人を犯した赤ずきんは、それまでの「月打」を喰らったキャラクターたちとは異なる性質を示していた。
 赤ずきんの特異な点をあげる。
 1 特定の〈読み手〉を憎み狙う。
 2 「月打」され、狂うことを彼女自身が待ち続けていた。
 3 「工藤」とイデヤの攻撃を一度は簡単に退けるほどの強大な力を持っている。

 いずれも、それ以前の「月打」キャラにはなかった性質である。
 そして、これは全て、一つの理由によるものであった。
 赤ずきんの暴走の動機である。
 赤ずきんは、ある〈読み手〉の女の子の復讐を、心に誓っていたのだ。

 「月打」は時にキャラの心の弱い部分の歪みを増幅させ、狂気を導くことがある。
 例えばシンデレラは、「月打」により自分で何もせずに得た「幸せ」に納得できなくなり、本を飛び出した。
 一寸法師の姫は無実の罪を着せられたことに納得できない心の底の歪みに囚われることになった。
 この辺りは、異世界へ取り込まれ、シャドウという名のトラウマに取り憑かれる人間たちを描いた傑作、「ペルソナ4」を想起させて面白い。

 しかし、赤ずきんはこの二人とは違った。
 彼女が囚われた歪みの訳は、お話の中に由来するものではなかったのだ。
 赤ずきんは、本の中から〈読み手〉の世界をいつも見ていた。
 読者が本を開くとき、登場人物も読み手のことを見ることが出来るのだという。
 赤ずきんは、そうして見つけた〈読み手〉の一人、佳代という女の子のことが好きだった。
 赤ずきんのお話が大好きな佳代は、いつも顔を輝かしながら「赤ずきん」のページをめくっていたのだ。

 しかし、事件は起こる。佳代の家が火災に遭うのだ。
 佳代は、「赤ずきん」の絵本を忘れたことに気づき、燃えさかる家の中へ戻ってしまう。
 そして完全に炎の中に取り残されてしまった。
 赤ずきんの絵本は佳代の左手に掴まれたまま、燃え尽きてしまった。

 しかし、本棚で炎に包まれながら、絵本の中から赤ずきんは見ていた。
 この火災を起こした犯人たちの姿を、確かに見ていた。
 三人の学生が、憂さ晴らしに放火した、その火が燃え広がり、大火事となったのだ。

 「赤ずきん」の心は壊れた。
 そう。
 赤ずきんの心は、「月打」を受ける前に、既に大きく歪んでいたのだ。

 赤ずきんは、憎き三人の顔と名を、その胸に刻み込んだ。

 ちくしょう ちくしょう ちくしょう!!!!!

 神林 田崎 野島 名前はおぼえたぞ このクソどもめ
 あたしが本から出られたら 必ず殺してやる
 必ず 必ずだ 待っていろ

 月よ、死人の ように クサレた 青白い月よ、

 早く あたしを「月打」しろ

そしておとぎ話の中で、赤ずきんは待った。
そして、50年後、ついに「月打」は起こったのだ。

 赤は血の色 復讐の色
 炎に染まった 涙の色

冒頭のシーン、
深夜の繁華街を疾走する赤ずきんの笑顔。

その笑顔は狂気の笑顔。
五十年の重みを載せて、
テロを実行できる、歓喜の笑顔。

「だむ ですとろい。」
破戒、そして破壊のとき、
赤ずきんが呟く口癖、あるいは呪文。

月光条例」で描かれる「月打」は大きく二つに分けられる。キャラの内心を深く描く場合とそうでない場合だ。それはエピソードの主題の違いによって起きてくるものである。
 どちらのパターンなのか冒頭のシーンだけでは判別することはできない。

 赤ずきんの姿は単に己れの力を誇示することに快楽を覚える者のようにも見える。

 だからこそ、執行者、工藤とその武器「長靴をはいた猫」のイデヤ・ペローの二人が彼女の鎮圧に動いたことは自然だった。
 まず、読者は悪役として赤ずきんを捉えることになる。
 おとぎ話のおかしくなった部分は正されなければならない。
 しかし、赤ずきんの動機を知るに到り、読者の中で、彼女の立ち位置は変化する。

 イデヤは、対「月打」組織であるツクヨミの狙撃部隊を指揮し、一斉射撃を敢行する。
 赤ずきんは全身を蜂の巣にされ、よろめく。

 しかし、それで本当にいいのだろうか。
 彼女はより強大な力で、単純に押さえつけてしまってよいものだろうか。

 その読者の疑問の受け皿となるのが工藤である。
 条例執行を機械的に何より最優先しようとするイデヤに対し、前回の「おむすびころりん」事件の時から疑問を持っていた工藤。

 工藤は、赤ずきんの行動に何らかの理由があることをその言動から、感じ取っていた。 だからイデヤを制止しようとした。

 しかし、イデヤに赤ずきんが既に二人の人間を殺害したことを指摘され、反論できなくなる。
 「月打」により強大な力を持った赤ずきんは、最初の戦闘でイデヤ達を全く歯牙にもかけなかった。
 その赤ずきんが一斉射撃で弱っている。条例執行の好機は今を逃すともう現れないかもしれない。
 そういう状況だからこそ、イデヤの行動には一定の正当性があり、決して単純に無慈悲なものとは言い切れない。
 だからこそ、イデヤの剣による条例執行を、工藤は認めざるを得なかった。

 この辺の状況構築が非常にしっかりしている。
 構造的に、赤ずきんは排除されなければいけない立場にある。

 しかし、何とかすることは出来ないのだろうか。
 これは悲劇で終わるべき物語なのだろうか。

 イデヤの前で、観念する赤ずきんの表情から狂気が消える。
 この演出が背筋をぞくぞくさせる。

 彼女は罪を犯した。だが、それはまた同時に、あまりにも人間らしい感情の表出ではなかったか。

 ここにおいて、「赤ずきん」というキャラクターは擬似的に人格を有し、ミクロ的な読者の視点を完全に確保する。


 しかし、その上で条例は執行されるのだ。


 だが、それは終幕を意味しなかった。

 全てのピースは揃い、ここから、このエピソードはその真実の姿を現し、結末まで全力で突っ走っていくことになるのである。


 さて、これまで、月光条例の設定、そして赤ずきんが老人連続殺害事件を起こした動機について述べてきました。

 それを踏まえて、この「赤ずきん」で、主題とされているものは何でしょうか。

 それは、一つには、読者と、物語の登場人物との関係性についての提示だと言えるでしょう。
 そして、この物語は、そこにとどまらず、他者に想いを伝えようと表現を試みる、全ての行為の、儚さと、同時にその裡の美しい輝きとを表現してくれた。
 そう感じています。

 元々「月光条例」という作品自体が、人間と、物語とのかかわりをいろんな形で描いています。
 
 主人公の岩崎月光は、おとぎ話の物語を全く読んだことがなく、その内容を知りません。だから、彼は、初めてそのおとぎ話を読む際の読者の視点、未読者の視点をまず確保します。
月光条例」の執行には、まず相手を知ることが大事、なのですが、彼は、その相手のことをよく知らない。だからこそ、「月打」キャラクターとの戦いが、「月光」として通常の未知の敵とのバトルの形式を取り得るのです。
 そしてそのバトルは、「月打」キャラへ読者が持つ違和感を解消したい、という読者の気持ちから、「月打」キャラが元に戻されること、すなわち月光条例の執行が読者に自然に希求される、という構造を持っています。
 そのため、毎回のようにバトルが繰り返されても違和感がありません。
 この構造はかなり秀逸であると感じます。

 そして、月光は、おとぎ話はこうあるべき、という偏見なしに目の前の「月打」キャラクターに対応します。
 彼のその態度からは、実直さを感じます。
 それは純朴な正義感から受けるものとほぼ同義のもので、月光自身がちょいとひねくれた物言いをするにもかかわらず、また、元々巻き込まれて始めた「執行者」であるにもかかわらず、彼の正義の味方的な位置付けを自然に確保する要因の一つと言えるでしょう。

 そして、もう一人の執行者、工藤は逆に、図書委員で、おとぎ話の筋は全て知っている、既読者の視点を確保する存在です。
 彼女は、ツクヨミという公的な「月打」対策機関に組み込まれたこともあるのですが、元々、「本」というものに対して人並み外れた愛着を持っており、それをモチベーションとして、おとぎ話の狂いを正していこうとします。
 ただ、彼女は執行者となってから、まだ日が浅く、執行者として己れがいかに振る舞うべきか、試行錯誤と葛藤を繰り返します。迷いなく条例執行を行おうとする月光と合わせて、この二人の執行者が対照的に描かれているのは面白いところです。
 この二人の〈読み手〉と最も多く接触するおとぎ話のキャラクターは、執行者の武器たる存在の〈使者〉、月光に対するハチカヅキ(鉢かづき姫)と、工藤に対するイデヤ・ペロー(長靴をはいた猫)になります。

 ハチカヅキは、自らのかぶる巨大な鉢が、常に「月打」の光を遮るため、「月打」の影響を受けないため、「月打」の際に、は月光条例の執行者を求める、おとぎ話界の使者の任につく。
 鉢かづき姫は、身を修め、執行者の武器となった。
 彼女は食したものの能力に応じて身体を変化させることが出来る。
 彼女は、おとぎ話を正す、という月光条例の執行に命をかける覚悟で臨んでいる、自分の身を投げ出すことも決して厭わない誠実な女性として描かれています。「滅私」を体現しているサブキャラクター。

 一方、イデヤは、ツクヨミという組織の一員として、責務として条例の執行を行っています。月光条例が執行されると、「月打」キャラによって生じた〈読み手〉の世界の被害は全て生じなかったことになる、だから死人が出ても構わないと言い切る彼は、「おむすびころりん事件」で人々を飲み込んだおむすびに対してミサイル攻撃を行おうとしたりします。執行者工藤の意志に関係なく条例執行を進めようとするなど、ハチカヅキと対照的なサブキャラクターと言えるでしょう。

 月光とハチカヅキは、契約をかわし、なお、改めて、「覚悟」を得るという再契約を行った形で、自然な形でおとぎばなしの世界と〈読み手〉の世界をつなぐ役目として機能している。
 それに対して工藤とイデヤの間には、溝が存在しているのですよね。
 情を根源とした月光らのモチベーションに対し、工藤らは理をモチベーションとしている印象がある。

 工藤はその卓越した頭脳によって、さまざまなことを一人きりでこなしてきた。それゆえに、誰かと共に事をなす、ということの喜びを知らなかった。
 彼女は本を愛すがゆえに図書委員となったが、同じ思いを持つ他者に出会うことがなかった。
 工藤がイデヤの申し出を受けて、条例執行者となったのはそんな下地があったからである。
 彼女は、条例執行によりこの現世を守る、とともにおとぎ話の本の世界を守ることが出来る、というところに、自分が行う意義をを見つけたのだ。
 この辺の心理は、本の愛読者の心理として非常に納得のいくところである。
 物語を読むことにより、物語の世界に立ち、登場キャラクターたちの思いに触れることは、何物にも代え難い快感である。
 しかし、逆に、読者はキャラクターたちに何をしてあげることも出来ない。
 それは常々私が感じるもどかしさでもある。

 自分が本の世界のために何か出来れば、その思いから条例執行者となった工藤ですが、
基本的にまっすぐで正義感の強い性格をしている彼女に比べ、その相方、使者のイデヤは、職務として条例執行をこなしている部分があり、冷めたところがあった。そのためイデヤと工藤は、しばしば意見が合わないところがあった。
 
 「ブレーメンの音楽隊」事件、「おむすびころりん」事件、「赤ずきん」事件、この三つを通して、工藤はイデヤ及びツクヨミの方針に異を唱えるようになる。
 そして決定的な決裂の契機となるのが、「赤ずきん」事件である。

赤ずきん」事件のエピソードでは、赤ずきんと、その読み手である少女佳代との関係性が語られます。
 これこそ、まさに読者と、物語の登場人物との関係性をより直接的に描いたものでした。

 赤ずきんは本の中からいつも佳代を見ていた。いつも顔を輝かせ「赤ずきん」の本を見てくれる佳代。その佳代に頭をなでてほしい。本の中で赤ずきんが密かに望んでいたのは「読み手とのふれあい」だった。しかし、彼女は、本から出られない。赤ずきんは、佳代という最上の読み手を得て、幸せでありながら、同時にかすかに鬱屈を抱えていた

 その心理は、非常に心に迫るものであった。
 それは、同時に、本の読み手が、お気に入りの登場キャラクターに対して抱く感情の動き、そのままのものであったからだ。
 本の内と外に分けられた、運命の相手との邂逅。それは幸福でもあり、同時に不幸でもあり得る。実際に会って、言葉を交わすことが出来ない。ふれあうことができない。そういう「ふれあい」への渇望を象徴して、赤ずきんは「あたまをなでてほしい」と願った。
 その気持ちは、痛いほど、私という、月光条例という物語の読み手にも伝わってきた。
 赤ずきんの頭をなでてやりたい、しかし、本の外の私にはどうすることも出来ないのだ。
 そうして関係性は、入れ子のような構造になり、魂は同調し、読み手たる私は赤ずきんと同一化を果たすのである。
 そして、より客観的な視点を欲する読者については、赤ずきんを理解しようとする立場の、月光や工藤の視点から、赤ずきんの心情を理解することができるのだ。

 その赤ずきんの密かな想いは、心ない放火犯の行為によって跡形もなく踏みにじられた。その現実の無情さへの憎悪が、彼女を狂気に駆り立てていた。
 赤ずきんは読み手の佳代を放火事件に巻き込んだ放火犯三人に復讐しようと、「月打」を待ち続けた。
 通常は、「月打」を受けるのは思いも寄らぬことだが、赤ずきんは違った。「月打」を待ち続けた。それが彼女の「歪み」。
 そして、「放火犯」のうち、全く反省の色を見せなかった二人を殺害してしまう。

 月光は、復讐の相手の三人目、神林は他の二人と違い、あの火事を起こしたことを反省し、赤ずきんに例え殺されても、あやまりたがっているという。
 それを聞き、赤ずきんは「月光条例」執行により本の中へ戻ることを赤ずきんは受け入れる。

 ここからの赤ずきんの心理描写が非常にきめ細かく、優れたものであると感じた。
 以下、蛇足であろうが、引用し、素直な感想と解説を添えたいと思う。
 もう完全なネタばれです。一応そのことはお断りしておきます。
根本的なマナー違反かもしれません。でもあえて、続けます。



「月光…もういい…あたしは…帰ろう…」

 しかし、その赤ずきんに、月光は告げる。
赤ずきん、おまえは会っていけ! かよちゃんに!!」

「え!?」

 佳代は50年前の火事では死んでいなかった。
 50年前、燃えさかる家の中へ「赤ずきん」の本を取りに戻る佳代を見て、放火犯の一人、神林はとって返し、炎の家の中に飛び込み、佳代を救い出したのだった。
 その時既に赤ずきんの本は燃えてしまっていたため、そのことを赤ずきんが見ることは出来なかったのだ。

「じゃ… かよちゃんは生きてたの…」
「ああ…今は神林と、仲の良い夫婦で孫もいるそうだ。」

「かよちゃんが、生きていた…」
 満面の笑顔を見せる赤ずきん。そこには狂気は欠片も残っていない。

 赤ずきんにとって、復讐の手段でしかなかった「月打」。しかし、それは、本の中と外、という壁、断絶を取り除く。「月打」は、実は、赤ずきんが希求した、佳代との「ふれあい」を実現させる要因でも有り得たのだ。

 佳代がすぐ、ここに来ると聞いて赤ずきん歓喜する。
「わああ、あた…あたし…どうしよう。」

しかし、次の瞬間、彼女は、ある声を聞き取る。

「火事… 泣き声がする…」

 神林の家で火事が起こり、神林の孫の果歩が火の中に取り残されたのだ。

「かよちゃんの泣き声がする……」

 工藤は指摘する。
「かよちゃんの声を知っていたのは50年前でしょう。 …今の声はきっと違うわ…」

 しかし、赤ずきんはいう。
「〈読み手〉(ニンゲン)は、なにもしらないんだね。」
「あんた達はおひさまを他のあかりとまちがえないでしょ。」
「太陽なのよ。自分のお話を読んで愛してくれる〈読み手〉は、あたし達にとって「おひさま」なのよ。」
 赤ずきんは、イデヤとハチカヅキにも同意を求める。二人も同意する。おとぎ話のキャラクターにとって、そういう〈読み手〉は年をとってもわかるらしい。

「そうでしょ。だから、あたしにはわかるの。あの泣き声は、かよちゃんだって」

 不意に跳躍する赤ずきん。火事の現場へ向かおうとする。空を駆ける赤ずきんの胸から煙のようなものが生じる。
 イデヤに月光条例を執行されたため、〈読み手〉の世界から、彼女の身体が消え始めているのだ。
(でも…でも一目かよちゃんと会いたい。そして…)
佳代に頭をなでてもらう情景。かつて彼女が抱いていた願望を思い浮かべる。
それは、赤ずきんがかつての自分をうしなっていなかったことを示している。
(かよちゃんがおばあちゃんになっててもいい。 だって、生きてたんだもん 生きていてくれたんだもん)

 追ってきた月光に、佳代に会って何かしてもらいたいのか、と問われて赤ずきんは答える。
 「わかんないよ… もしかしたらいっぱいしゃべっちゃうかも…
(いつも読んでもらってうれしかったよ。 あたしがどれだけかよちゃんを好きだったかわかる? 火事を起こしたあいつらをあたしがどれだけ憎んだか。)
「そしてかよちゃんが生きてて…どれだけ嬉しかったか……」
「……でもね、いちばんやってもらいたいのはね… えへへ… いいや…」
「言えよ。」
「うーんとね、かよちゃん(「おひさま」)に、アタマなでてもらうこと。」
満面の笑顔で赤ずきんは答えた。
この時、赤ずきんの表情は「月打」を受けた狂気の表情ではなく、完全に以前の赤ずきんに戻っている。

 月光たちに遅れて、イデヤと工藤は車両で後を追う。
 ここの工藤の言葉が珠玉である。

「イデヤ。」
「なに、クドーさん。」
「あなたも自分の愛読者を覚えているのね。」
「うん、当然ね。」
「そう… …すごいのね、登場人物って……」
工藤もまた、物語を愛する人間だった。だからこそ、おとぎ話のキャラクターと愛読者との深いきずなに心を強く打たれたのだ。
 彼女は語る。
「…昔読んだおとぎばなしの評論の本にね、こんなことが書いてあったわ。」
 おとぎばなしは みんなを出発させても ずっと覚えている。
 それを楽しんだ子供だったみんなを。
「たとえ人が大人になって、そのお話を忘れてしまっても」…
 おとぎばなしは読み手をけっして裏切らない。

 そして、その言葉をオーバーラップさせ、場面は火事の現場に切り替わる。
 ついに赤ずきんは、佳代に再会する。
 それはまた、「月打」によって成し遂げられた、有り得ないはずの邂逅である。

 火の中に取り残された孫、果歩を思い、泣き叫ぶ佳代。彼女は年月を経て白髪の老女になっていた。
 赤ずきんは笑顔で語りかける。両手を背中で組んで、胸を張って。
「かよちゃん。」
しかし、返ってきた佳代の言葉は
「おじょうちゃん、果歩のお友達かい…?」
だった。
 佳代は、赤ずきんのことがわからなかったのだ。
 赤ずきんは、その言葉に一瞬呆然とした表情を見せる。
 果歩の名を呼び続ける佳代。
 一瞬の後、赤ずきんは、理解する。
 自分と、佳代は、本来出会うことのない、別の世界の存在であったことを。
 50年という歳月が、人間にとってどれだけ大きいものであるか、ということを。

 そして工藤の台詞が続き、オーバーラップされる。
「おとぎ話は読み手を「決して」 裏切らない。」

この工藤の台詞が、評論の引用、というところが言葉に重みと厚みを持たせている。
工藤個人の言葉であると同時に、より普遍的な性質を持つ言葉に昇華されている。

 赤ずきんは気付く。佳代の左手には火傷の傷跡が残っていた。
 50年前「赤ずきん」の本を取りに火の中へ戻った佳代。その際に出来た左手の火傷の跡。
 それは、かつての佳代の想い。忘れられた、赤ずきんへの愛のかけら。その名残だった。

 笑顔に返ると、その火傷の跡を優しくなでる赤ずきん
「かほちゃんはだいじょうぶだよ。」
「かよちゃん!」
 まゆをしかめたまま口角を上げ、笑顔をつくろうとする赤ずきん
「な…なんでおじょうちゃん、あたしの名前を……?」
「知ってるよ―― 当ったり前〜〜」
赤ずきんの横顔。満面の笑顔
「だってあたしの、おひさまだもん」
背を向けながら振り返る赤ずきんの笑顔のアップ。
わずかに眉に淋しさをたたえている。
神林が赤ずきんの背に向かって叫ぶ。
神林は、月光に聞いて、赤ずきんの思いを知っていた。
だからこそ、彼は叫ぶ。
「待て! おまえはあたしを殺すんだろ。」

「すまなかった…」
涙を流し赤ずきんをみつめる神林。
改めて後悔の念が込み上げたのだ。

「……もう殺さないよ。」
赤ずきんの横顔。目は前髪に隠れて見えない。

そう、既に想いは果たされたのだ。たとえ、少しばかり違った形であったとしても。
思い描いていた、佳代との心のふれあいは、実現されなかった。それは赤ずきんの心の中にだけ存在する、はかない夢だった。
そして、彼女にはまだ、やるべきことが与えられていた。
赤ずきんは、途轍もない失望感を押し殺す。

果歩を救うため、燃えさかる炎の中へ駈けていく赤ずきんの背中。
「だって殺すと、 おひさまがくもるでしょう?」


そして、最終話である。

「い…今、女の子が火の中に入って…」
「「かほちゃん大丈夫…」だって …あなた、見ましたよね?」
「あ…ああ……」

「おまえの… よく知ってる子だよ…」

妻を振り返る神林。
「佳代…」
「は…はい。」
「おまえに話さなければいけない話がある。」
 おそらく50年前の火事のこと、そして赤ずきんのことを伝えるのであろう。
 それにより、50年間悩み続けた神林も救われるはずだ。


炎に包まれた果歩。のどを押さえる。
「くるしい…よ… …ママ…」

「むかし、むかしあるところに女の子が、おりました。」
赤ずきんは炎の中をスキップして進む。
「その子は佳代と同じで とてもかわいくて、みんなからすかれていました。」
「…だれ…?」
げほ、と咳き込む果歩。
大股に近づいてくる赤ずきん
「あははは ママ〜 ちゃんと読んで〜」

…だ… …れ…

「だああむ」
「ですとろおい。」
天井を爆破する赤ずきん


「爆発だ! 待避――っ!」
消防士達が待避を開始する。

エンゲキブも叫びながら逃げようとする。
月光は冷静に呟く。
赤ずきんだ…」

果歩を抱きかかえ、天井から空へ飛び出す赤ずきん
驚く果歩。
「うっわああ 高い高い!」

赤ずきんは「月打」によって生じた狂気の顔をしている。
「どお? いいながめでしょ?」
「すっご――い!」
果歩は赤ずきんの表情に気付かず、突然の飛行に心を躍らせている。
八の字飛行をする赤ずきん
「あははは。」
「おんもしろーい! どーしてこんなコトできんの?」

「それにさ、どーしてあの火事の中に来たの?」
「あたしに用があったの?」
「うーん、ホントはね、用があったのはちがう人になの。」
「なーんだ、あたしじゃないんだ〜」
「その子とは昔、とーってもたくさん遊んだのよ。」
「じゃ、これからそのコとあうんだね?」
どこかのビルの屋上のタンクの上に静かに舞い降りる二人。
「ううん もう、いいの… その子あたしのコト…忘れてたし…」
拗ねたような、自嘲の表情の赤ずきん
純粋でまっすぐな果歩の問いに素直に心の内を明かしていく。

「その子だけじゃないの。 みんなあたしのコト忘れていくのよ。」
「どんなに仲が良くっても みんな…みんな…」
自分が、存在する意味はどこにあるのだろうか。涙がこらえられない。
ここで赤ずきんは初めて泣き出しそうな表情を見せ、俯く。

さしのべられる手。
何かに気付いた表情の赤ずきん
次頁。
赤ずきんの頭をなでる果歩。
「まさかぁ。 赤ずきんちゃんをわすれるわけないよぉ。」
呆然とした表情の赤ずきん

「うふふ… かわいい〜」
赤ずきんの頭をなで続ける果歩。
「あんた…」
「あたしのこと…知ってるの…?」
「うん! この前 おばあちゃんに読んでもらったもん。」
「そいでね、あたしが「赤ずきんのコト好きだな」って言ったら、」
「おばあちゃんが言うんだ。」
「そんなら果歩の子供にも読んだげな」って。
「もォ わたしだって子供なのにさあ…」

 それは、永遠にうしなわれたはずの、〈読み手〉との邂逅。赤ずきんが、佳代との間に望んだそのものの再現であった。


「…あ …あれ?」
「ねえ、どっかイタいの? な…なんかかなしくさせた?」
「ねえ、赤ずきんちゃん!」
次ページ、
初めて涙を流す赤ずきん。 赤ずきんは泣いた。ただひたすら。
笑顔で泣いた。
「ぢがう゛〜〜〜」

その夜――消防士さん達はびっくりしたに違いない。
火事の中、逃げ遅れたと思われていた女の子が、
ケガもなくカゴに乗って空から降って来たからだ。
そのカゴの底には2通の手紙。
1通は月光に、
1通はイデヤ・ペローに。

手紙を読むイデヤ。
「あたしには とっても
かわいい読み手がいるんだぞ。
だむ ですとろい
ざまーみろ。
            赤ずきん 」

 満たされた赤ずきん歓喜が伝わる、素晴らしい文章だと思います。
 しかし、イデヤはそれを解することができない。
「な…なんだコレ…」
「ははは、これ見てよ、なに言ってんだろね…」

 そのイデヤに工藤は背を向ける。
 
「あれ、どこ行くのクドーさん。」
「ちょっと待ってよ! これから俺達 ツクヨミの本部に報告に行くんだぜ。」
「申し訳ありませんが、イデヤ1人で行ってください。」
「私はツクヨミに協力するのがイヤになりました。」

 工藤には、赤ずきんの想いが伝わった。その想いにこそ、大きな意味を、価値を見出した。だからこそ、その想いを無視し条例執行のみを追求する、ツクヨミのやり方とは相容れない、と感じたのだ。
 赤ずきんは、本の中から、多くの〈読み手〉に夢を与えた。
 そして、「月打」に暴走してもなお、その行動は、やはり〈読み手〉に大切なものを伝えたのだと言えよう。

 この物語は、おとぎ話に限らず、他者に想いを伝えようと表現を試みる、全ての行為の、その裡の輝きを、表現してくれた。
 そう感じている。