「惡の華」について、アウトサイダーの言い分

前の「惡の華」の記事についてmixiの方でコメントがつきました。
アウトサイダー」は憧れてなるものではないのじゃないか、というご指摘でした。
それに対する私のレスをこちらにも転載しておきます。

惡の華(4) (講談社コミックス)

惡の華(4) (講談社コミックス)


そうですね。「アウトサイダー」は憧れてなるものではない。
実際「惡の華」においても、きっかけにおいて、どうしようもなく陥ってしまう、という展開を持ってきています。
春日くんと仲村さんが自転車で町を出ようとするところまではその形で一貫していて、初期にプロットとしてここまでで物語をまとめる形も念頭にあったのかな、と思いました。
ところが、物語はまだ続いているんですよね。
この辺は、全然違うアプローチの「君のいる町」と似たような状態になっている、と感じました。

君のいる町(15) (講談社コミックス)

君のいる町(15) (講談社コミックス)

どういうことか、と言いますと、通常の物語としては、既にハッピーエンド、あるいはバッドエンドへ至るだけのエピソードが既に終わっている状態にありながら、ヒロインの内面の特定のみが先延ばしにされている状態なんですよね。そこが両者に共通するところ。
で、「君のいる町」のハルトにしても、「惡の華」の春日くんにしても、自分の見える範囲で、ヒロインの女の子の内心を決めつけたまま、ひたすら行動を続けているんですよね。
 結果、ハルトの周りからは幼なじみを含めた以前の友人の姿が消えています。そして、ヒロインの瑞希のみが残った状態になっています。二人は恋人同士になりますが、瑞希の心の内はいまだ十分に描写されていません。彼女が何を考えているのか、ぼかされたままここまで来てしまっています。彼女次第でハルトは友達も幼なじみも彼女も失い一人残される、という急転直下のバッドエンドに立たされる可能性も残っています。

 「惡の華」でも、春日くんは、ローカル社会において、自分の立ち位置、居場所を見失い、かつ失っています。ヒロインである仲村さんが、別の形でローカル社会で浮いた存在になっていました。そして、春日君は、仲村さんと二人でともに社会から孤立し生きて行こうと決めます。
 春日くんは仲村さんの望む行動を、今までの仲村さんの言動を基に類推し、行おうとします。
 それは反社会的行動に値するものですが、春日くんの中で、仲村さんの孤独を癒すために、完全に正当化されているんですよね。

 でも、それは仲村さんの言質をとったわけでも何でもない、春日くんの暴走なわけで。
 この後、どこかで仲村さんに突き放されるのは目に見えてるんですよね。

 「君のいる町」はまだ、恋愛を主題にしてるんで、後釜の女の子を登場させれば、瑞希に拒否されても、(読者の納得とかを抜きにすると)まだハッピーエンドへも持って行けそうです。
 でも、「惡の華」はもう、どうしようもない。春日くんが世界を受け入れるためには「罪と罰」のラスコリニコフみたいに何十年か刑務所に入ってくるぐらいしか無いんじゃないかな、と。
 
 春日くんは中学生という設定なんで、物事が見えてないのは仕方ない、むしろそこはリアルな描写だと評価しています。
 でも、話の内容に比して、彼はあまりにも周囲が見えなさすぎて悲しい。
 逆にアウトサイダーがみんなこんな奴だと思われると嫌だなぁと思ってしまうわけですよ。
 私は私なりに、立ち位置を模索して、確立した結果、今の位置にいるわけで。
 ……でも昔の私は春日君とある意味似たり寄ったりともいえるんで、それが恥ずかしいのかなぁ。まぁ春日くんも今の私の年齢になったら、私よりずっと立派な人間になってるかもしれませんね。

でも、あの劣悪な状況を見せつけられると……、いや〜辛いです(笑) 全くの他人ごととして見ることができたら楽なんでしょうけど、どうしても感情移入してしまうので。

 まぁ、なんだかんだ言いましたが「惡の華」は長期スパンで暖かい目で見守っていきたいと思っています。