押見修造「惡の華」

惡の華(3) (講談社コミックス)

惡の華(3) (講談社コミックス)

一〜四巻読了。
前から気になっていた作品でしたが、
読んで爽快な気分にはなれないだろうな、と思って読むのを躊躇していました。
レスター伯のお薦めもあって今回読んでみました。
……予想どおりイヤな気分になりました(^^;
物語として非常によく出来た作品だと思っています。
いわゆる純文学の世界を娯楽作品へ落とし込む際には、その切り口によって読者を選別する作品になってしまいます。
 『AIR』もそういう作品だったのですが、「惡の華」は、作品の雰囲気を最初から純文学テイストで満たしているため、読者の側で心の準備をさせてくれる分だけ、『AIR』に比べれば良心的なのだ、と言えるでしょう。
 物語作品に娯楽を求める人は、この作品を読んではいけません。やり場のない強烈な怒りを覚えるだけだと思います。

 私もまた、この物語に接して忸怩たる想いを持つ人間の一人です。しかし、それは物語作品に娯楽を求めているから、ではありません。

 この作品が自分の暗黒面を刺激するからです。

 私はクソムシであり、それを心底痛感したが故に、クソムシである自我を自ら抹殺することにより、社会と辛うじてつながっているのです。
 少しでも気を抜くと、ゴミクズのような自分が噴出されてきます。
 何人かの人は、そのことを知っているはずです。
 私は、この物語の、春日くんや、仲村さんのように、証拠を残したりはしません。
 法もきちんと勉強しましたから、法に触れるようなこともしません。

 ただ、私は、そうなんだ、というだけのことです。
 私は、仲村さんのように、外部を貶めて自分を確立できません。春日くんのように、他者のために自分を変容させることもできません。
 私はただ、ひとり、空気と化すことによって、社会を受容することしかできません。
 NBAの元スーパースター、ジェリー・ウェストは、どこまで行っても、自分を評価してやることができなかったそうです。
私は、どこへも行きません。いや、行けません、と言った方が、一般向きの回答でしょう。
私はボードレールは知りませんが、トルストイ魯迅を読んで育ちました。
私は、彼らの言葉を理解することが出来ました。
春日くんはボードレールの言葉を理解できなかった、と言います。
それが故に、彼は変容することが出来ました。そして彼は犯罪を行います。

彼と私の境遇の、どちらがよかったのか、それは一意に判断できるものではないでしょう。

 これから彼をどう描くことが可能なのか。商業漫画という枷のなかで、どこまで描き続けることが出来るのか。興味深いです。
 一つだけ言えるのは、春日くんはまだ、「アウトサイダー」に憧れているだけです。そこに踏み込むことがどれだけの苦悩の道になるのか、彼はまだ、知らないのです。