創作作品についての議論の前提条件(U理論とか)

mixiの方で以前にちらっと書いたのですが、
C・オットー・シャーマーの「U理論」を適用することで、創作作品に対する「感情移入」あるいは「読みの深さ」の個人差と、それをとりまくギャップの大きさ、そして諸問題について俯瞰できそうだ、と考えたりしたことがありました。
 ある作品に対する自分の読みの段階と、相手の読みの段階を、事前に想定しておくことでよりスムーズに議論を進めることが可能なのかな、と思います。

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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1246897595&owner_id=276715

 大学の先輩とエヴァンゲリオン破を3回目に観に行った時に、これ面白いよ、と薦められた本が神田昌典さんの「全脳思考」でした。よく売れている本なので、知っている方も多いと思います。

全脳思考

全脳思考


 で、いろいろと興味深い内容の本だったのですが、その中で、前述の「U理論」が出てくるのです。
 シャーマー氏の意図する「U理論」とは、社会変革プロセスにおける思考のあり方を体系化したものだけど、それはビジネス上のアイデアを見いだすという実際的な目的のために大いに参考に参考になりますよ、という風な形で紹介されていました。

 そこで紹介されている「U理論」とはどういうものか、というと、
 当たり前の話ではあるんですが、
 「現実認識を掘り下げるほどに、その思考から導かれる行動は深くなる」
 「内面の思考を深めるほどに、実際にとる行動は力強く、思考は実現しやすくなる。」
 という傾向があって、物事に対する意味を深く理解することにより、行動の成果が得られやすくなる、という話なんですね。

 で、問題認識の思考の深度が、4段階で分類されてます。

レベル1 ダウンローディング
レベル2 事実的
レベル3 共感的
レベル4 創造的

 この分類が、創作作品に対する各個人のスタンスの差異の分類にも役立つのかな、と思っています。
 この場合のそれぞれの段階についてもう少し説明してみます。



レベル1 ダウンローディング
 

 過去の思いこみから脱することができない段階。すでに馴染みのある現実以外は見る必要がない、興味がないというスタンス。今までの思いこみの枠の中に流し込むだけの感想しか持たない。

 典型的な感想
 「ああ、それならもう知っているよ」「このパターンは以前読んだことがあるけどイマイチだよね」「○○さんはわかっていない」


 自分という境界内に視点があり、過去の情報をダウンロードするだけの状態。



レベル2 事実的(ファクチュアル)


 客観的なデータを元に、創作作品を分析しようという段階。読者自身の過去の経験に頼るだけでなく、他作品との比較、他者の意見の吟味などを加えて評価する。

 典型的な感想
「なるほど、こういうアプローチがあるんだ」「既存の○○という作品ではああいう表現をされていたけど、この作品では、こういう違う形の表現がされていて非常に効果的だ」


 自分という境界の周辺に視点があり、事実にもとづく判断をしている状態。



レベル3 共感的(シンパセティック) 


 自分という殻が崩れだして、作者の立場から新たな現実を眺めることができるようになる段階。新たな価値観の取得が可能。

典型的な感想
 「この作者はわかってるなぁ」「この作品で作者が言いたかったのはこういうことだよね」「伝わりました」


 自分という境界線の外側に視点があり、他者に感情レベルで共感できる状態。


 
レベル4 創造的(ジェネラティブ)


 哲学的なレベル。作品を通じて、自分の使命を感じる。読書という形を取りながらも、作者と自分が出会ったことに感謝できる。

 典型的な感想
「私がこの作品を読んで感じたことは、うまく言葉で説明できない。だけど、何か大きなものと繋がったような感じがします」
「この作品のなかには全てがある」


 境界線は開かれており、自由な視点でより大きなものと繋がっている感覚。




 以上4段階に読みのレベル、スタンスを分類するとします。このレベル、スタンスが同じだと、議論はスムーズに進行しやすいけど、段階が違うと、根本的な齟齬が生じやすいです。
 しかも、そのレベル、スタンスの違い自体を認識し辛いことが多いと思います。
 ネット上の議論だと、ニュアンスが省かれてしまいがち、ということもあって、更に大きな齟齬、ギャップが生じやすいでしょう。


 「こいつ何言ってるの?」


 「あなたは何もわかってない」


 この読みの深さのレベルは同じ個人であっても、作品の内容によって深さが変化したりします。そして、ある作品を深く読みこむために必要な労力も、個人差があります。その辺は相性があるんですよね。だから、普段、自分に出来ないような深い読みを他の作品でする人が、自分には簡単にレベル3まで到達出来る作品を、レベル1の理解しか出来ない(敢えてしないこともある)様子を見て、違和感を感じることはあると思います。


 でも、そこは、個人差があるのだ、ということを前提に考えて、相手と、そして自分が、どの段階で作品を捉えているか、踏まえた上で議論していくと、よりスムーズに議論は進み、新たな発見が生まれてくると考えます。


 そんなことをつらつら考えていましたが、みなさんどうでしょうか?