綾小路ぱいを通して見る神楽坂明日菜の今後。

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 物語の理想、とかキャラクターの理想とかいうのは、決してひとつのベクトル上だけにあるわけではない。
 だから、あるひとつの物語が、ある一人のキャラが、あるひとつのベクトルを外れたから、と言って、即座に価値が全くなくなるわけではない、と私は思う。
 作者がまた、読者である私と別の一個人であるがゆえ起こる、それは必然なのだから。

 それでもなお、世の中には、自分の想像をはるかに超えて、理想に近いと感じさせてくれる作品、キャラクターは存在する。
 
 今回、「魔法先生ネギま!」の神楽坂明日菜とフェイト・アーウェルンクスの二人にスポットを当てて、いろいろと想像の翼を広げてみたわけですが、その際に、必ず脳裏に浮かぶ別の物語、キャラクターが存在していました。

 その物語は「3×3EYES」の第二部(3〜5巻)。そのキャラクターは、綾小路ぱい、その物語のヒロインにあたる存在である。
 
 それは、かつて、私の求めた以上の理想的な物語であり、キャラクターだった。いまもなお、私のなかで、まばゆい輝きを放っている。

 未だ、終了していない物語である「ネギま!」の登場人物の今後を考えていく上で、既に終了した物語である「3×3EYES」第二部は、大きな手がかりとなるだろう。

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 綾小路ぱいと、神楽坂明日菜とには、さまざまな共通点を見出すことが出来る。

 端的なのは、二人とも、物理的な身体に、後天的に付与された人格だ、という点である。
 まだまだ思いつく共通点はある。
 共に、封じられた人格(パイでありアスナ)を持っており、強大な力を持っている。
 パイは白竜天に舞う年に生まれた最強の三只眼であるし、アスナはレアな魔力無効果能力を備えた「黄昏の姫御子」である。
 そして、封じられた過去の記憶。パイは仲間を率い、暴君となったシヴァに戦いを挑んだ。だが、それが三只眼の一族を滅亡へと導くこととなったのだ。
 また、アスナは、おそらく、「広域魔力消失現象」を起こす引き金となり、旧王都オスティアを地に墜とし、ウェスペルタティア王国 を滅亡へと追いやった。
 その後、二人は記憶を失い、日本で、幸せで楽しい毎日を暮らすことになる。
 やがて、己が過去につながる手がかりをもたらす運命の相手に出会う。
 
 そして、二人は過去の記憶を少しずつ思い出しながら、故郷である異世界への帰還を果たすのである。
 そこで、強大な敵に捕らわれ、過去の記憶を思い出させられることになる。

 ここから先も、仮に、明日菜が、綾小路ぱいと更に共通する業を背負っているとしてみるならば、どうなるだろうか。では妄想入ります。

結論としては、
神楽坂明日菜」という人格は、敵、すなわち「完全なる世界」が付与した人格である、ということになります。

 大戦後の「広域魔力消失現象」は、「完全なる世界」と「黄昏の姫御子」の戦闘をきっかけとして生じた。その際に「完全なる世界」(以下、仮にフェイトとする)はアスナの能力を封印、そして来たるときに再び利用するための手段として、彼女の記憶を封印した。その上に、フェイトは自分の配下の一人の人格を疑似複製した。
 上書きしたのでなく、空き容量部分に複製し、従来の記憶領域へのアクセスを禁じたわけです。
 そして、記憶と同時に能力を封印されたアスナは明日菜として日本へ送られる。
 近衛家や紅き翼の判断としては、アスナは単に記憶を失ったものだ、としたか、あるいは、異物の存在を認めながら、アスナの暴発を誘発する危険性から排除出来なかったのだろう。
 何より、人形としていかなる感情も与えられなかったアスナが、明日菜として、普通の少女として感情を身につけていく。その様を見ながら、その笑顔を、涙を、再び取り上げることなど、心情的に彼らには出来なかったのではないか。

 しかし、魔法世界へ帰還した明日菜はフェイトに捕らえられる。
 そこで、明日菜は、記憶を取り戻す。自分がアスナですらない、ネギの敵「完全なる世界」の一員だと自覚する。その衝撃は甚大なものでしょう。

 だが、彼女は、これまで魔帆良学園で、神楽坂明日菜として生きてきた記憶を有している。その記憶を前提として生成される反応のひとつひとつこそが彼女自身であるわけです。

 だからこそ、彼女は、最終的に、フェイトに反逆することを選ぶでしょう。

 ただ、もし、現時点ですぐ、この暴露が行われても、明日菜の衝撃は軽減されるでしょう。彼女は充分にそれを乗り越えるだけの意志と自我を持っているように見える。

 しかし、先に、過去のアスナの記憶を引きずり出され、充分に自分が「黄昏の姫御子」だと自覚した後ならばどうだろうか。

 その時の彼女の精神が、どのような形になっているのか。
 見てみたい気持ちが心にある。

 しかし、これはおそらく、有り得ない、と私は見ています。

 「ネギま!」では物語中に多くのヒロインを併存させる形を取っているため、既存のヒロインの要素が解体されて複数の女性キャラへ配分される、というひとつの傾向が存在します。
 そして事実として、既に、栞という形で上記のうち多くの要素が使用済みになってしまっています。
 そういった事情がまず、ひとつ。
 もう一つは、この流れが、「ネギま!」という物語の中に既存の、いわゆるドラマツルギーに反するものだということです。
 明日菜に関して言えば、かつて、自分の意志を持たずに人形として生きていた彼女が、自分の価値観と強い意志を持ち行動の出来る存在になっていった。そのビルドゥングスロマンが彼女が描かれるうえで主題となっていると考えるのが自然だからです。
 その方向性でいけば、明日菜の「強い意志」というものの、物語の上での格は相当に高い位置づけとなります。現に、これまでにそれを裏付ける描写は幾つも見られました。

 その上で、その格を侵そうとするだけの上位のドラマツルギーが存在し得るのか。存在しても赤松さんがそれを選択する可能性があるのか。

 私の見る限りぎりぎりの線で、有り得ないと感じています。

 物語の理想、とかキャラクターの理想とかいうのは、決してひとつのベクトル上だけにあるわけではない。
 だから、あるひとつの物語が、ある一人のキャラが、あるひとつのベクトルを外れたから、と言って、即座に価値が全くなくなるわけではない、と私は思う。
 作者がまた、読者である私と別の一個人であるがゆえ起こる、それは必然なのだから。

 「ネギま!」が、そうでなければいけないとは、これっぽっちも思っていません。

 だけど、それでもなお、極限まで追い詰められた時に、明日菜がどんな思考、行動に至るのか、それを見極めてみたいという欲望は、確実に存在しています。

 私は、それが人間の本質を追究するひとつのかたちであると考えているからです。



↑ちょっと中途半端なところで途切れてしまいましたので、少し追記します。
 上記の設定は、根拠となる伏線も乏しく牽強付会な部分があります。
 そして、これが唯一の選択肢ではありません。
 他の選択肢によっても明日菜の魂の形に迫るという同様の効果を得ることは可能でしょう。

 赤松先生は、あえて
「君は君自身の罪の重さに耐えきれるのかい?」
とフェイトに発言させています。
 フェイトというキャラクターは、これまで、冷静に事実を把握しており、ほとんど誤認をしないものとして描かれており、そこには一定の格が存在します。
 それゆえ、彼がそう認識しているということは、的外れである可能性が極めて低い。
 明日菜はアスナとしての罪の重さに耐えきれないか、それに類する衝撃を受ける可能性が極めて高くなる。
 
 しかし、それは、前述の、明日菜の得た「意志、自我」の強固さという格と、フェイトの状況認識の正確さ、という格とのせめぎ合いになるわけです。
 フェイトが断定せず、耐え切れるのかい?と疑問形にしているところなど、うまいなと思わせます。
 格付けはまだ行われず、最終的にどちらが格上になるのかは未定だと言えます。
 ただ、それでもなお、前述のフェイトの台詞により、まず、イニシアチブを取ったのはフェイトの方だと考えられます。
 フェイトの格からいって、明日菜に全くダメージを与えずにターン終了、というのは有り得ません。
 この台詞が出た時点で明日菜が精神的に揺るがされることは確定と見てよいでしょう。

 ただ、その際、どういうアプローチで明日菜の強固な自我を崩していくのだろうか。大抵のことでは明日菜は揺るがないぞ。と思ったわけです。
 どのようにすれば、明日菜を揺るがすことが出来るか、というポイントを出発点に、思考を開始したのですよね。

 で、ひとつの結論が、明日菜自身が実はネギやクラスメイト達の敵であった、というパターンだった、というわけです。

 勿論他にもっと妥当なパターンは、当然有り得るでしょう。

 赤松さんがどういうパターンを想定されているのか、興味深く見守りたいと思います。