この世界の片隅から片隅への贈り物

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さて。
この物語、「この世界の片隅に」からぼくが受け取ったものの話をしようか。
ぼくはたぶん、この作品で作者のこうのさんが表現しようとしたことを全て受け取れたわけではないだろう。
きっと、たくさんいろんなことを誤解してる。
それでも。
それでも、逐一言葉にしていくときりがないくらい、大切なものを受け取ったよ。
何から書こうか。まだ整理もできてないけど。
取りあえず書き始めよう。
この作品を読んで、僕は、ものごとにいかに対するか、ということについて考えることが出来た。
うしなわれる、ってどういうことなんだろう。
ひとが生きていく間に、いろんなものが失われていくでしょう。
万物は流転する、でしたっけ。別に昔のえらい人のことばを引くまでもなく、誰もがみんな自然に感じて知っていることですよね。
だから、ものをうしなったなら、不幸せだというならば、この世界の全ての人が不幸せだということになる。
でも、そんなこともないですよね。
ひとは皆、幸せでもあり、不幸せでもある。それは、他者と自己を、あるいは他者と他者を見比べての相対的な価値観だから。
そして、また、うしなう、という感覚もまた、相対的な性格をもっているんですよね。
うしなってしまったと感じるのはひと。そこにないと感じるのはひと。そこにいないと感じるのはひとなのです。
そこに、確かにあったとしても、見えなければ無い。かつて見えていても、見えなくなれば、それは、うしなわれたのです。
この「この世界の片隅に」という作品のなかでも、いろいろなものがうしなわれていきます。
主人公たる、「すず」もまた、多くのものをうしないながら生きていきます。
すずは、もともと世界とある一定の距離を持って生きていたと思います。
自分の意志を世界に反映させようとは思わない。
ただ、世界のありのままを受け止めて、その中で生きていた。
孤立することはなかった。
すずは世界のありのままを絵としてとらえて一体化することができたからだ。
だからこそ、すずは、想いの相手としての水原をうしなっても、笑顔でいることが出来た。
親に決められた嫁ぎ先、口うるさい小姑、無口な夫。
そんな北條の家には、それまで彼女の周りにあった全てのものがなかったはずである。 それでもすずは居場所を見つけることができた。
望まれて嫁いだ、という事実と、絵を通じての世界との一体化。それがすずを支えていたのですよね。
夫、周作のノートの裏表紙の切り欠けを見たとき、すずの受けた衝撃の大きさ。
彼女はそこで、ひとつうしなった。
すずは、もがきはじめる。自分が世界にただ身を委ねることが出来ない、その違和感に抗いはじめる。
そして、右手。
ずっと世界をありのまま受け止めて生きてきた、すず。
彼女は、この世界に居場所をうしなった。
晴美を失ってさえ、まだすずは、北條の家を居場所と当然に感じていた。
その根底となる、確かなものが、うしなわれたのだ。
自分の役目を全て奪われ、すずは動揺する。広島へ帰るのか、呉に残るのか。
突きつけられた選択。
自分で選ばずに来たゆえの業。
すずは、生きる根拠をうしなっていた。
ただ、それでも、すずは世界の無情に抗おうとした。
爆風でとばされ、木にひっかかった戸枠。その枠を通して四角に区切られた風景を見る。
これは無論、風景画を描く際にレイアウトを探す心理、動作の暗喩であろう。
しかし、そこに見える風景は乱雑な描線の集合でしかなかった。
世界は彼女から遠かった。
そしてすずは、敗戦を告げる玉音放送を聞く。
彼女は激昂する。「うちはこんなん納得出来ん!!」
生きる根拠をうしなわされた直後、その原因となった戦争が終わった。
勝つため、日本の正義のための尊い犠牲として自己をみとめることすら、彼女はうしなった。
すずはここに、ついに涙を見せる。この国の正義なんぞに頼らなくてはならないほど追い詰められていた自分。
そこまで追い詰めた世界の無情の前に、抗っているつもりだった。
しかし、それはただ、そう思い込んでいるだけだった。
自分は何もできなかった。何もしてこなかった。
その無力さと怠惰に対する絶望が、悔しさが、涙を流させたのだ。
しかし、その時、すずは頭をそっとなでる右手の存在に気付くのだ。
そして、その後、彼女は笑顔を取り戻す。
頭のなかに絵を描くことを始める。
すずの「右手」はまた、見出されたのだ。例えそこになくとも、確かにあるのだ。
うしなったと決定するのは、自己なのだから。
だからこそ、この世界の片隅で僕もまた。
かつてのように文章をつくる力をうしなった僕が、
あえて、こんな文章を書いてみました。
みなさん、読んでくださって、ごめんなさい。