ゆとり教育とか

 ゆとり教育は個人差を助長した、基礎学力を低下させたと、教育関係者はそれを問題視したがりますが、私は別によいと思います。
 微積の時間に古典の内職をやってた私のような教育に対する姿勢のいびつさも減ったのではないかと(物理の時間は寝てました)。堂々と休みの日に受験勉強すればいいのですから。
 私は物理、微積共に赤点ぎりぎりでしたが、大学には現役合格できました。関西の某有名4大学の一つで、法文社の三学部。(オマケで国立も受かりました。ゴッズドアー大の今は無き教育学部)。別に偉い人になりたいわけでもなかったのでその辺でおっけいかと。ゆとり教育だと、勉強したい人間がより勉強出来る環境にはなったので別にいいじゃんとか思います。
 あと微積は理解したらとっても役に立つ珍しい教科だと思いますが、教え方はよくないと思いました。後に独学で勉強した方がよっぽど頭に入りました。あんなもん詰め込みで習得出来るのは本当に頭のイイ人だけですから。私みたいなバカには無理。マイペースでやらしてもらわないと勉強できません。

 んなもんで自分からゆとりを創造してました。
 理系はめんどくさいので英語と国語と社会(世界史はめんどくさいので日本史オンリー)のみ勉強してました。英語は英作文とかは部分点狙いで長文読解ばっかり学習してました。
 英語や国語が好きだったのは楽して点が取れる教科だったからです。

 悔しいのはセンター試験の国語。迷った末に選んだ「文章の主旨」が、間違いにされたこと。あれは出題ミスだと今でも思います。あれさえなければ満点だったものを。
 
 入試の余った時間はひたすら落書きしてました。会場で試験官のお姉さんをスケッチしたこともありました。髪の毛をライオンのしっぽにグラデ変化させたりとか遊んでました。
しあわせのかたち」のべるのとか「3×3EYES」のぱいとかその頃落書きしてたキャラは今でもそらで描けると思います。 毎日数人、いやもっと描いてたかも。

 んでも、当然そういう姿勢は教師にはウケが悪かったです。
 「もっと頑張れば上の学校に行けるのに。」と言われ続けました。それはその通りだったのかもしれませんが、その頃は勉強するのが嫌いだったので、「上」って何? みたいなカンジでやる気は全く起きなかったです。
 確率統計の授業のとき、教卓の真ん前の席。一番前の真ん中の席だったのですが、眠かったので寝てました。
 後で聞いた話によると、先生が「こいつは大物になる。」と言っていたとか。先生、期待を裏切ってすみません(汗)。


 そんな人間でしたが、就職してからの仕事は精神的にも肉体的にも堪えました。
 何度も辞めたいと思いました。
 そしてそういう環境に対応し続けて、変な人になりました。
 自分が仕事出来ないせいだと鬱になったこともありましたが、仕事を引き継いだ後輩や先輩の状況を見るに、そうでもなかったのかも、と最近は思います。
 えげつない職場です。まじで。
 「不快手当」とかマジ欲しいくらい。一日16時間労働はどうかと思いますし。 
 なんとかするためには偉くならないといけない。矛盾してるなぁ。