コリンウィルソン「アウトサイダー」読了と、自分の評論同人誌のこと

アウトサイダー (集英社文庫)

アウトサイダー (集英社文庫)


 「アウトサイダー」読了しました。
 面白かったです。
 専門用語が難解なので、全ての意味を理解できたわけではないですが、
 主題的な部分は掴めたかな、と思っています。

 ここで言うアウトサイダーとは、
 社会構造の外側に自分を置こうとする特性を持った人間のことです。

 こういう人々は、そうでない社会の内にある人々からは、変り者、はみ出し者、協調性がない、空気読めない、等々の印象を持たれるでしょう。

 そして、社会に適合していこうとする努力を放棄している、怠惰な人間だ、というレッテルを貼られてしまうかもしれません。

 しかし、そもそも、その前提としての、努力して社会生活を送らなければならない、という前提は不変不動のものなんでしょうか。

 この問題提起に、否、と確信を持って答える、それがアウトサイダーなのです。
 それに対し、社会に参画して行くこと以外の選択肢は無い、と考えるのがインサイダーであるといえるでしょう。

 コリン・ウィルソンが、著書のなかで提示している、アウトサイダー、インサイダーの定義は、かなり複雑なので、さきほど挙げた説明では抜け落ちているニュアンスも多くありますが、おおまかに、アウトサイダーというものはそういう人々のことです。
 

 ちなみに私もアウトサイダーです。
 少なくとも、アウトサイダーの考え方に大いに共感する人間です。

 しかし、当然ながら、私は社会を否定するわけではありません。
 生命を維持するためにはなんらかの社会参画が必要なことは理解していますし、実践もしています。
 他の人々の存在を軽視するつもりもありません。他者と、いろいろと語り合うことの楽しさ、意義の深さは痛感するところです。

 その上で、ただ一人、思索にふけり、思想を突き詰めたいという堪えられぬ欲求は捨てられないです。

 「プラネテス」のラストでハチマキは「 愛し合うことだけがどうしてもやめられない」と語りました。

 それは彼にとっての真実でしょう。
 しかし、それは人間の一側面でしかない。

 「うみねこのなく頃に散」EP8で戦人が、魔法か手品か、どちらを選ぶかを縁寿に迫ったのも同様です。
 そこにはインサイダーの思考に凝り固まった人間の姿があるのです。

 むろん、幸村さんはロック・スミスを配置し、竜騎士さんは、あえて「手品」を選ぶ縁寿を描いた。
 作者自身は別にインサイダーの思考に囚われているわけではない。

 しかし、描写の仕方に、インサイダー優位の思考をどうしても感じてしまう。


 「AIR」の様にアウトサイダー優位の作品というものは決して多くない。

 そういう意味でも、「まどかマギカ」の存在意義は大きい。

 改めてそう思います。


 とりあえず、評論同人誌「AIRの真実」は原稿用紙20枚分ぐらい書きましたが、再構成中です。
 観鈴の内面の解釈の前提としてアウトサイダーの概念を盛り込みます。
 
 プロットは大体出来上がりました。 

 でもやっぱ、現状だとたぶん「まどマギ」をメインに持ってこないと読んでもらえないだろうから、「まどマギ」評論の一部にする予定です>「AIRの真実」。
 今の構想だと「AIRの真実」自体は50枚ぐらいかな。そんなに長くはならない予定です。