物語観の確実な進化〜うみねこのなく頃に〜

 うみねこのなく頃に」EP4まで読了しました。






 ただひたすら涙が流れて止まりませんでした。


 これは最早、通常言うところの「感動」ではありません。

 でも、これもまた、広義の感動ではあるんですよ、きっと。
 的確なことばがただ見つからないだけなんです。

 前に書いていた「U理論」の第4段階へ無理矢理引き込むアプローチがされているためだと思います。

 私の場合は「AIR」で一度経験していたので、落ち着いて考えてみると、この感覚は懐かしいなとも思いました。

 「AIR」と「うみねこ」を比較した時に両者の描こうとしている世界そのものは、それほど変わらないと感じるのですよね。
 どちらも、途轍もない迫真感を持って現実を描いている。

 しかし、両者ともに、世界の構造・ルールそのものについて、完全には説明を行わないのですよね。

 だからこそ、「AIR」の時は単に「ストーリーが破綻している」という酷評を得る結果になった。
 確かに、旧来の物語観にのっとって考えれば、その評価は決して誤りではない。

 
 しかし、「AIR」自身は独自の価値観を持って物語自体を再構築し、その上で、ある一つの世界を描ききっていた。

 「うみねこ」は更にもう一歩踏み込んで、固定的な物語観を段階的に再構築していこうとしている。

 物語の世界観・設定・ルールは必ず説明すべき、という固定観念を、尊重しつつも払拭しようとしている。

 そう。世界観、設定、ルールも「描写」されれば十分であって、本来「説明」されることに絶対の必要性は存在しないはずなのです。

「AIR」の時に、既にその価値観を獲得していた私は、逆に、その価値観を認めない大多数の圧力に押しつぶされるような抑圧を観じてきました。

 しかし、時代は進んだ。

 「腐り姫」で、時の流れが一定であるという枷が外れ、
 「ひぐらしのなく頃に」で、世界の数が有限である、という枷が外れ、
 
 そして、その前提の上で、「うみねこのなく頃に」は存在する。

 「エヴァ破」の成功も踏まえ、人々は既存の物語観という枷から解き放されつつある。

 今だからこそ、「うみねこ」は真の意味で多くの読者に受け入れられる幸せな作品になったと言えよう。

 そういう意味で、「AIR」はやはり、あまりに早すぎたんでしょうね。残念だけど。


 話は変わりますが、「うみねこ」を小説で読む人は損をすると思う。このシナリオを文字起こししたって、あのベアトの表情の変化を見ることは出来ないわけでしょう。
 文章であのニュアンスを再現するにはとんでもない文章力が必要ですよ。シナリオの文字には全く現れていないんだもん。
 少なくとも戦人の視点では認識されていない部分がある。

 漫画でもコマ割りが相当うまくないと、ニュアンス自体がとんでしまうか、逆に物凄くわざとらしくなってしまうと思う。

 ニュアンスの再現を考えると、他メディアだと、やはりアニメがベターなのかな、と思います。

 でも、「うみねこ」は本当にビジュアルノベル(ノベルゲーム)に特化した性質の作品だと思います。
 「ひぐらし」もそうだったんですが、他メディアにしか触れない人は絶対に損をしていると思います。



関連「U理論」の話↓
http://d.hatena.ne.jp/kande-takuma/20090827