もしも帆場暎一が「コードギアス」の世界にいたら

コードギアス』のシャルル皇帝の目的から考えるに、もしも帆場暎一がギアスの世界にいたなら、本人の悪に成り得る要素によって善の要素が明確になり、劇場版とは逆に、死せる救世主となっていた。
そんな妄想が湧きました。
・・・・・・相対的な悪が絶対的な悪に遭遇したら、相対的には善なる行動を選ぶのでしょうか。
それとも、相対的な善になってしまうのでしょうか。


        ヒルネスキーさんのコメントより

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http://d.hatena.ne.jp/kande-takuma/comment?date=20090709#c



 もしも帆場がギアスの世界にいたなら。興味深い想定ですね。
 帆場のモチベーションが世界に大きく依存するものなので、彼が同じ精神性、思考、動機を持ち続ける立場にあったとする前提の上で、ですが、帆場は確かに、あの世界の救世主となっていた可能性はあるでしょう。
 「東のエデン」において滝沢が選んだ結論(「東のエデン」は厳密には終了していないので、TV終了時点での結論、ですが)に近いところに、帆場は到達するんじゃないかな、と。パトレイバー劇場版で、帆場が神の裁きを行ったのは、他の誰も行わなかったから、であって、ギアスの世界では、ルルーシュシュナイゼルそしてシャルルと、多くの者がそれを行う意志を持ち、行動している。その行動の、より効果的な部分を抽出しようとするのじゃないかな、と。

 手段としてはサクラダイトの無効化とか、ギアスキャンセラーとか、他のキャラが既にやってるところですが、その辺に着目して、自己の影響力を確保しようとするのかな、と。
 ナイトメア他軍事用のOSが統一化されているとは思えないので、その線から攻めるのは難しいかな、と。

 「絶対的な悪」は理論上にしか存在し得ないと、私は思います。
 しかし、確かに「絶対的な悪」に近い悪は設定し得ると言えるでしょう。

 相対的な悪が、より「絶対的な悪」に近い悪に遭遇したとき、どういう行動を取るか。
 それは個別の事象によって異なるのだろうな、と思います。
 善なる行動、つまり悪に対する敵対行動を取るかも知れないし、両者は矛盾せず共闘するかもしれない。傍観するのかもしれない。

 まさに相対的、ですよね。