独裁者としての悪役、「ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」
多くの魅力的な物語には多くの魅力的な悪役や敵役が登場し、読者を魅了する。そんな悪役や敵役の魅力について、6月27日のネットラジオで海燕さんといろいろと語り合うことが出来ました。
その中から私の語ることの可能なキャラクターについて、これから触れていこうと思っています。
まず、最初は、「天空の城ラピュタ」のムスカについて語っていきましょう。
![天空の城ラピュタ [DVD] 天空の城ラピュタ [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51mvIqLeiCL._SL160_.jpg)
- 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
- 発売日: 2002/10/04
- メディア: DVD
- 購入: 15人 クリック: 700回
- この商品を含むブログ (423件) を見る
「天空の城ラピュタ」に登場する、ムスカというキャラクターは、典型的な悪役の類型を内にふくんだ造形になっている。
ムスカは、少女シータを利用するため、誘拐し確保しようとし、パズーと対立することになっていく。
彼の目的はラピュタの力による世界支配。
劇中終盤においてラピュタの力を得て、彼はその力におごり高ぶり、その醜悪さを見せたように見える。
名台詞「見ろ、人がゴミのようだ」が象徴。
最終的に、シータとパズーに拒否され、滅びの言葉「ヴァルス」によって敗れるのだけど、それが納得のいくように、悪役として演出された感がある。
しかし、彼はまた、「ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」という名を持っていた。
ちなみに「パロ」は分家を意味するのではないか、と思われます。ギリシャ語パラが「傍らに」、「脇に」という意味を持っています。(パロディの語源の一部)
自分がラピュタ王の血を引く。そのことが彼の行動の全ての原動力になっていた、と思われるんですよね。
独学で古文書を解読し、ラピュタの謎に単身迫ったムスカ。
軍に入り、政府を動かして、密命を受けて、ラピュタを探索する、その過程で、彼がどれだけの努力を重ねたか、計り知れない。
本居宣長とか前野良沢とかと似たような苦労を重ねたに違いない。
新井白石的な天才かつ努力家だったのかもしれない。
おそらくその過程で彼を馬鹿にする者もたくさんあっただろう。
パズーの父親が詐欺師扱いされて死んだ、というパズーの言葉からも、それは推察できます。
その辺りがトラウマとなって、彼は少しずつ微妙に歪んでいったのかもしれません。
また、彼は若くして地位を得るためにいろいろと画策するなかで、後ろ暗いこともやったかもしれません。
宝物をあさる将軍に対して「馬鹿どもには良いめくらましだ」と嘲笑した台詞辺りにもいろいろ示唆が含まれていそうです。政府の密命を取り付けるなかで、政府高官にも、ラピュタ発見の歴史的意義を説明するよりも、ラピュタを宝の山と説明した方が理解を得られやすいような腐敗があったのかな、と思います。(ロボットの落下はあくまで最後の決め手に過ぎないと思われる)
最初は自分のルーツを探ろうとする純朴な少年だったムスカは、周囲の嘲笑を受けながらも、自分の正しさを証明していく。
ラピュタを発見し、玉座の間に降り立った、彼の歓喜、まさに自分が正しかったのだ、と証明されたことの歓喜は計り知れぬ強靭さで彼を揺さぶった。
押し寄せる激情に、彼の精神は幾ばくかの平衡を失う。
いきさつを知らぬシータやパズーには、そして視聴者には、その大きすぎる歓喜が誘発したムスカの激情が、その実情に増して醜悪なものに映ったのではないだろうか。
「ここが玉座の間ですって? ここはお墓よ、貴方と私の」
「国が滅びて、王だけが生き残るなんて滑稽だわ」
「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」
シータによる痛烈な批判が繰り返される。
強大な力を持ちながら滅んだかつてのラピュタ。その事実が重いからこそ、同じ過ちを繰り返そうとするムスカを批判するその言葉には大きな説得力が溢れる。
だからこそ、心優しき少女シータが、滅びの呪文を行使する、その姿を観る者に、自然に受け入れさせてくれるのである。
だが、それは唯一の正しい道であったのだろうか。
一時の高揚を越え、ムスカが冷静に戻れば、彼はそれなりの世界統治を行ったのかもしれない。
ラピュタの力により、戦争のない、豊かな世界を創造し得たのかもしれないではないか。
彼は、強大な力を持ち、その道を誤った独裁者として、断罪された。
それが観る側に受け入れられる土壌として、20世紀の、スターリンやヒトラー等がもたらした、独裁者の負のイメージがあったことは大きいだろう。
強大な権力を持つ独裁者が、もし道を誤ったとき、それを是正するのが極めて困難であること。そのことが、独裁者自体をを悪であるとする大きな根拠とされてきた。
しかし、例えばもし、これが現在ならば、ムスカは物語の主人公たり得たかも知れない。「DEATH NOTE」の八神月や、「コードギアス」のルルーシュ・ランペルージ等の立ち位置は、ムスカのそれと、非常に似通っているとも言えるのだ。
ここから、一つの推論が導き出せる。主人公と悪役(敵役)の性質は、基本的に相対的なものに過ぎないのではないか、という考え方である。
一見、典型的な悪役に見えるようなムスカにすら、これだけの相対性が見出せるのであるのだから。
続けて、数例の魅力的な悪役について述べていく中で、少しでも考察を深めていくことが出来ればよいと、思っています。